安定成長期の無理のない移行
西ドイツが、1950年代近隣ヨーロッパ市場への輸出を伸ばして高度成長を遂げていったことはよく知られています。
1950年当時、ヨーロッパ主要各国の通貨は、西ドイツのマルクも含めて対ドル自由交換性を回復していなか(、た。
そうした中で、ヨーロッパにおける貿易を自由化し、経済規模を拡大するためには、アメリカから一応独立した形で、ヨーロッパ域内だけにでも、実質的な通貨の自由交換性を保証する仕組みが必要でした。
1950年に設立されたEPU(欧州支払同盟)は、ドルを共通の計算単位とする多角的な決済機構としてスタートしました。
しかし、EPUは単なる精算所の役割をこえて、金融の機能も持っていました。
貿易債務国にはクレジット(信用)を与え、それでも赤字が解消しない場合にはその大部分をEPU融資による金またはドルで決済させました。
その原資にはアメリカから出資された3億5000万ドルが充てられました。
西ドイツは、このEPUのメリットを最大限に生かしてヨーロッパ域内の貿易を拡大していきました。