ドル危機の渦中をどう切り抜けるか
すでに述べたように、西ドイツは1950年代「奇跡の成長」を遂げる過程で、ヨーロッパをベースとし、自由貿易の原則を確立することができました。
1960年には、GNP世界第二位となり、ヨーロッパのドイツから世界のドイツへと飛躍しました。
大幅黒字国として、マルクに対する割安感が周辺諸国の間に高まり、一方でマルクに対する投機が激しくなると、自国経済の実力に見合った形でマルクを切り上げ、対外摩擦を回避。
合わせて国内の物価安定をはかりました。
1950年代から60年代にかけて、西ドイツは貿易立国として「成長」から「成熟」への無理のない移行を果たしました。
日本は、こうした西ドイツとは対照的な道を歩んだのです。
なぜ・・・日本は西ドイツのような選択をしなかったのか、あるいはできなかったのでしょうか。
西ドイツがとった道は、理論的にのみあり得た選択だったのでしょうか。
現実の日本の選択は次のようでした。
日本政府は、自由化にともなう国内産業への影響について過大の評価をし、逆に、各企業の国際競争力を過小に評価しました。
・・・その結果、国際経済に向かって開かれた産業構造をつくり出すチャンスを逸しました。